くらしをつくる人NOTE
2025.11.27

第19回目は兵庫県丹波篠山で作陶に励む「陶芸家」安藤由香さんです。
雨晴一行が丹波篠山に向かったのは、安藤さんが半年の充電期間を終えた2025年の7月。
これまでの気負いがすっと消えたような安藤さんの面持ちからは幸せが溢れ出しているように感じました。
今までの安藤さん、これからの安藤さん。
それぞれについて雨晴の金子が迫ります。

分析少女
釣具屋の家系に生まれ育ち、幼少期から「道具」に囲まれていたという安藤さん。
「釣り道具が箱にぎっしり、きっちり、並んでいるのを見るのが好きだったんです」
とお父様との思い出とともに嬉しそうに語ってくださいました。
そう伺った後に、安藤さんのアトリエにある、お手製の黒い道具箱が整然と並んでいるのを見ると
お父様の血を色濃く受け継いでいることが伝わってきます。
安藤さんは「感性」と「知性」のバランスがとても良い方だなと、いつも思うのですが、
その片鱗を当時のエピソードからも伺い知ることができました。
金子「ものをつくるということに元々興味を持っていたのですか?」
安藤さん「そうですね、小さい頃から御菓子作りとか編み物が好きで夢中になっていました」
金子「お母さんも?」
安藤さん「いえ、母はそういうことには1mmも興味がなくて」
金子「そうなんですね」
安藤さん「ものづくりは勝手に好きになったんですよ。でも、“できたぜ、イエーイ”という感じではなくて、割と冷静に、お菓子作りのレシピをデータ化したりするのが好きでした。写真を撮って、レシピを書いて、“美味しかった”とか”自分には難しかった“などの感想もいれたりして」
そう言いながら安藤さんが見せてくれた、当時作ったレシピブックには、細やかに、様々な情報が詰め込まれていました。
金子「小さい頃からマメですね!ものづくりをしながら分析までするなんて、釉薬を日々研究する安藤さんの今の姿と重なります」

目指せ、西海岸
グローバルな感覚から生まれる美しい佇まいは、安藤さんの作品の魅力の一つ。
その人生においても海外志向が強く、高校を卒業してからすぐに渡米し、アメリカの企業で経理の仕事に携わっていました。
金子「安藤さんは、アメリカに住んでいたことがあるのですよね?何故、アメリカに行こうと思ったのですか?」
安藤さん「小学校の時にカナダ人の家庭教師が英語を教えてくださったんです」
金子「お、お嬢様じゃないですか!?」
安藤さん「いやいや、近所のみんなが習っていたんですよ」
金子「すごい、コミュニティですね」
安藤さん「先生は授業の後に子供達と公園で遊んでくれるような優しい人。そんな方だったから、中学に入ってもずっと英会話を続けることができました。暫くすると先生が結婚して、サンディエゴに帰国することになったんです。お別れの時に“ねえ、由香。もしアメリカに来ることがあったら僕たちを頼ってよいからね”とおっしゃって。その言葉を素直に受け取った私は、一所懸命勉強して、西海岸へ行くことになったんです」
金子「陶芸家の方ではあまり聞かないご経歴ですよね」
安藤さん「そうかも知れないですね。アメリカではアートを勉強したわけでもなく、経理の仕事をしていたんです。18歳から8年間アメリカに住んでいましたね」
金子「社会人をまっとうされていたんですね。それにしても、海外で経理の仕事ができるなんて、安藤さんはやっぱりクレバーですね」
安藤さん「勉強は元々好きで、小学校の時からめちゃくちゃ真面目にやっていて。ハチマキを巻いて宿題をして、塾にもちゃんと通っていましたね。でも、アメリカでは仕事のミスが多くてめちゃくちゃ怒られていましたけど(笑)」
