くらしをつくる人NOTE

Vol.16
2023.3.1
Vol.16 陶芸家 船串篤司さん <うつわ編>

第16回目は、茨城県笠間市で作陶する船串篤司さんです。

船串さんが意識して制作するのは空間や時間に心地よい「間」を生み出す作品。
うつわであれば食材がより美しくみえるように。
花器やオブジェであれば過ごす時間がより豊かになるように。
日本人がもつ「間」の美学をその佇まいから感じとることができます。

インタビューを通じて印象的だったのは陶芸家の道を歩む中で
船串さんを支える素晴らしい方々との出会いがあったこと。

本コラムを通じてみなさまにもそのストーリーと
船串さんがこれから目指す明るい未来についてお伝えできれば幸いです。

長文のため「うつわ編」「アート編」の二部構成で雨晴金子がお届けいたします!

まずは「うつわ編」からお愉しみください。


骨董屋か料理人

シンプルで洗練された形状と白と黒が生み出すその世界観に魅了されて
料理人を中心に国内外問わずファンの多い船串篤司さん。

高校時代は工藝を学ぶ学校に通っていた船串さんですが
汚れるのが嫌という理由から「陶芸」には見向きもせず、授業もろくに受けていなかったそうです。

卒業後はお母さん譲りの骨董好きが高じて、骨董屋を目指したり、
友人の影響で料理人になろうかなと思い立ち海外を放浪したりと
自分の将来を決めかねていた時に出会ったのが一枚の古い「石皿」。

この運命の出会いが「陶芸家」船串篤司を生み出す原動力となっていくのです。

金子「船串さんは何故、陶芸家を目指したのでしょうか?」

船串さん 「きっかけは、そうですね。元々、古いものが好きだったんです。
母親が古いものだったり、作家もののうつわを普段から使っているのを身近に見ていて。
子供の頃は何とも思っていなかったんですけどね」

金子「お母様の影響が強かったのですね!」

船串さん 「卒業後は好きが高じて骨董屋で働いていました。自分でも骨董屋をやろうかと古物商の資格も取ったんですよ。そこで出会ったのが100年は経っている古い石皿。
時間をかけて生み出された表情にとても感動して、“何かを残せる仕事っていいなって” って思えたんです。
この出会いがきっかけで陶芸家を目指すことになりましたね」

金子「石皿に出会うまではものを作るということはしていなかったですか?」

船串さん「それが、全くしていなかったんですよ」

金子「高校で工芸の勉強をしていたと以前伺ったことがあったと思うのですが」

船串さん「陶芸の授業もあったんですけど汚れるのが嫌という理由で3年間土を全く触らなかったんです(笑)」

金子「今では考えられないですね(笑)」

船串さん「卒業して暫く経ってから、高校の先生に陶芸家になりたいと相談したところ “弟子入りするしかないんじゃない?” って言われて」

金子「うんうん」

船串さん「笠間の窯元が載っている本を見ていたら、よさそうな人がいたのでいきなり “弟子にしてください” って言いに行ったんです」

金子「すごい行動力!それがお師匠さんだったんですか?」

船串さん 「はい。そうなんです。でも “厳しい世界だから一週間考えて来い” って言われましたね。
端から覚悟を決めていたので一週間後にもう一度伺って “絶対やります!” って宣言して弟子入りしました」

金子「そうなんですね!」

船串さん「話が少し戻りますが、陶芸家を目指す前は料理人になりたいと思っていた時期もあったんです」

金子「へえー。それは初耳です」

船串さん 「知り合いがドイツで飲食店をやっていたので遊びに行ったんですよ。
とても刺激を受けて料理人もいいなって思い始めたんです。
うつわと料理って繋がっているじゃないですか。
もし料理人になったら骨董のうつわを使って、料理を出したら楽しいだろうなあと想像していたんですよね」

金子「その夢も実現できていたら素敵だったでしょうね!」

船串さん「でも、やっぱり料理人ではないかなって思って。そんな風にもやもやしながら過ごしていた22歳の時に、石皿のことを思い出して陶芸家を目指そうと思ったんです」

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春は死なないよ