くらしをつくる人NOTE

Vol.13
2021.2.18
日の出ガラス工芸社 津坂陽介さん、久保裕子さん<前編>

第十三回目は、富山県富山市でガラス制作に励む、津坂陽介さん、久保裕子さんご夫妻です。

お二人は富山の雄大な自然に包まれた田園地帯に吹きガラス工房「日の出ガラス工芸社」を2010年に設立しました。

津坂さんはレースなどの繊細な技法を用いた作品を
久保さんは石文鎮を代表とする自然の情景をガラスに投影したオリジナリティのある作品を制作。

伝統的な技法と新しい表現を模索しながら、日常生活の明るい彩りに役立つ作品を目指しています。

今回はお二人にインタビューさせていただいたので前編、後編の二部形式でお届けいたします。

前半は津坂陽介さん編です!


越中富山の薬売り

富山といえば300年もその歴史が続く薬で有名な街。
現在もたくさんの方が製造や販売に従事されています。

一方、近年注目されている富山の産業といえば「ガラス工芸」。
ガラス工房やガラス美術館が設立され、いたるところでガラス作品に出逢うことができます。

そんな富山のガラスの歴史に薬が大きく関わっていたことを皆様はご存じでしょうか?

明治、大正期に薬の製造が盛んになるとその容器としてガラス瓶の需要が高まり富山県内で沢山の薬瓶が製造されます。しかしながら昭和に入ると戦争でガラス工場が焼け、同時期にプラスティックが台頭してきたことが影響してガラス瓶の生産は衰退してしまったのだそうです。

火が消えかけた富山のガラスですが30年程前にこの薬瓶のエピソードが再注目され、
富山市が中心となって「ガラス工芸」への支援が始まりました。
関わる方々のご努力の結果、今では「ガラスの街」と呼ばれるほどガラス工芸が脚光を浴びるようになったのです。

津坂さんと久保さん

ガラス工芸を志す方にとって恵まれた環境がある富山から素晴らしい作り手が続々と誕生します。

その中で雨晴が注目しているのが今回ご紹介する津坂さんと久保さんです。

津坂さんと久保さんは同期として入学した「富山ガラス造形研究所」でまさに同じ釜の飯を食べながら
苦楽を共にし、ガラス作家の道を歩み始めます。

津坂さんは愛知県、久保さんは東京のご出身。

何故、県外ご出身のお二人が富山に辿り着き、ガラス作家になったのかをそれぞれに伺います。

目指すは陶芸家

金子「津坂さんがガラス作家になったきっかけを教えてください」

津坂さん「僕は元々陶芸をやりたかったんですよ」

金子「え!初耳です。」

津坂さん「高校生の時にこのまま勉強を続けて大学に行くというイメージが湧かないなあ、何かものづくりしたいなあと考えていたんです。

僕は常滑焼とか瀬戸焼がある愛知県出身で陶芸を身近に感じていました。

漠然とですが日本らしくて伝統もある陶芸家になれたらいいかなって思って、習い事の本をめくっていたら陶芸教室より先に吹きガラスのページがでてきて。
吹きガラスって習えるんだって、その時初めて知ったんです」

金子「そうか、津坂さんは愛知ご出身でしたね」

津坂さん「ちょうどその頃、世界ウルルン滞在記というテレビ番組で谷啓さんがベネチアにガラスを吹きに行っているのを見て面白そうだなあと思い、吹きガラス教室に通うことにしたのです」

金子「谷啓さんがきっかけとは!」

津坂さん「やってみたら楽しかったし、ガラスに携わる方が当時は少なかったのもいいなって。
僕は、このまま吹きガラスを学んで自分は職人さんになるのだろうなと思っていました」

金子「富山の学校に入っても、職人になるつもりだったのですか?」

津坂さん「そのつもりで入学した富山ガラス造形研究所はアート系の学校で、全然職人養成所ではなかったんです(笑)」

金子「(笑)」

津坂さん「アートの世界とか何も知らなかった僕でしたがものづくりに対して自由な環境の中で学ぶことができたおかげで、今、ガラス作家として活動できていると思っています」

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ベネチアからの伝道師