くらしをつくる人NOTE

Vol.3
2016.10.03
由起子窯 土屋由起子さん

第三回は一楽、二萩、三唐津。
古くから茶人好みの焼き物産地として知られる佐賀県唐津市に工房を構える
「由起子窯」土屋由起子さんです。

作っては使い、作っては使いを繰り返し、食卓に素直に馴染むうつわを考えながら作陶しています。


唐津に生まれて

唐津生まれの唐津育ち。
生粋の唐津っ子の土屋由起子さん。
海も山も近い、自然に恵まれた環境で日々作陶していらっしゃいます。

なぜ、由起子さんは生まれ故郷で焼き物と共に生きることを選んだのでしょうか。
そこには偉大なお父様の影響があったようです。

由起子窯、誕生秘話を雨晴金子が伺います。

金子「由起子さんは、なぜ焼き物を作ろうと思ったのですか?」

由起子さん「よく聞かれるけど、なんででしょうね(笑)」

金子「(笑)」

由起子さん「ひとつは唐津に生まれたからだと思っています。アパレルやインテリアの仕事に憧れを持っていた時期もあったのですが、それを仕事にできる環境が唐津にはなかったんです。でも、唐津には唐津焼という素晴らしいものがあった」

金子「唐津焼と出会ったのはいつ頃ですか?」

由起子さん「父が骨董好きで古唐津を集めていたので、子供の頃からそれを見ていました。学生時代は工芸科のある短大に進み、焼き物を学びました。この時に焼き物と向き合って、しっくりきたんです。失敗して前に進んでいく。自分が努力した分しか返ってこない陶芸は、自分に合っているなと。23歳の時に思い切って独立しました」

金子「いきなり独立ですか! すごいですね」

               

由起子さん「私が陶芸をやることを父が応援してくれたんです。元々、骨董が好きだから。
でもその分、厳しくて厳しくて。毎日“そんなんじゃだめだ”と叱られては泣いていました」

金子「お父さんは、窯元さんだったんですか?」

由起子さん「いいえ、薬剤師です(笑)。本当に焼き物のことが好きな人でした。だから、私の作品を見てはアドバイスをしていましたね」

               

食いしん坊の繋がり

毎日、泣いてばかりいた由起子さんに転機が訪れます。

「プロとは人からお金をもらって仕事をする人のことだ」とお父さんに言われ、
プロの人に焼き物を習いたいという思いが湧いてきたそうです。

                                

その時に出会ったのが唐津焼の陶芸作家、中里隆さんでした。

由起子さん「毎日泣いていて、でもどうしたら良いかわからなくて。そんな時に中里隆先生に出会ったんです。隆太窯(中里さんの窯名)で修業したいと思っていたのですが、女性の住み込みの弟子を雇 わないとのことだったので…。ところがある日、弟子にならないかと声をかけていただいて。きっと、一人で作っているのを見るに見かねられたのだと思います(笑)」

                                  

金子「住み込みだったんですか?」

由起子さん「いえ、毎日通っていました。これは後から伺った話なんですけどね。 隆先生は、素の味というか滋味がお好みなんですが、以前、私の実家の沢庵を召し上がりお口に合ったようで。それで弟子入りさせていただけたみたいです。食いしん坊の繋がりですね(笑)」

金子「それは、素晴らしい出会いですね」

由起子さん「弟子入りして最初に習ったのは、包丁の研ぎ方と魚の下ろし方です。生活の基礎がないと焼き物は作れないということですね。本当に貴重な経験をさせていただきました」

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黒唐津で薔薇色に